喜び上手になってあるがままの幸せに気づこう 2025.10.18 喜びには、段階があります。全部で3段階。 1段階目は、「与えを喜ぶ」。 見える、聞こえる、話せる、食べれる、匂いをかげる、歩けるなど、普段あたり前にしていることは、神様から与えていただいていること。この当たり前とされているものを、「与え」として喜ぶ。 2段階目は、「喜びにくいことを喜ぶ」。 目が見えにくくなっても、見えないわけではありません。見えにくいのと、見えないのとでは、大きな差があります。そう思えば、見えにくくとも、見ることができる。これを喜ぶ。 3段階目は、「喜べないことを喜ぶ」。 見えないということは、与えがないということ。 鍛冶屋をしておられた信仰初代のAさんのお話ですが、Aさんは、仕事中に右目に焼けた鉛が入り、目の潰れるところを神様にたすけていただかれました。 Aさんは、75歳から両目を失明されました。普通は、悲しむでしょう。しかし、Aさんは、80歳で出直される(亡くなる)までの5年間、「この間まで、目が見えたんや。ありがたい。しかも、神様からたすけていただいた潰れた目のほうが良く見えたんや」と言って喜ばれました。目が見えなくなって、「この間まで見えたんや」と喜ぶ人は、極めて少ないと思います。でも、こうして考えれば、喜べないことでも、喜ぶことができることを教えていただいた気がします。