天理教若狭道分教会

喜び上手になって
あるがままの幸せに気づこう

喜びには、段階があります。全部で3段階。

1段階目は、「与えを喜ぶ」。

見える、聞こえる、話せる、食べれる、匂いをかげる、歩けるなど、普段あたり前にしていることは、神様から与えていただいていること。この当たり前とされているものを、「与え」として喜ぶ。

2段階目は、「喜びにくいことを喜ぶ」。

目が見えにくくなっても、見えないわけではありません。見えにくいのと、見えないのとでは、大きな差があります。そう思えば、見えにくくとも、見ることができる。これを喜ぶ。

3段階目は、「喜べないことを喜ぶ」。

見えないということは、与えがないということ。

鍛冶屋をしておられた信仰初代のAさんのお話ですが、Aさんは、仕事中に右目に焼けた鉛が入り、目の潰れるところを神様にたすけていただかれました。

Aさんは、75歳から両目を失明されました。普通は、悲しむでしょう。しかし、Aさんは、80歳で出直される(亡くなる)までの5年間、「この間まで、目が見えたんや。ありがたい。しかも、神様からたすけていただいた潰れた目のほうが良く見えたんや」と言って喜ばれました。目が見えなくなって、「この間まで見えたんや」と喜ぶ人は、極めて少ないと思います。でも、こうして考えれば、喜べないことでも、喜ぶことができることを教えていただいた気がします。

上部へスクロール