天理教若狭道分教会

同窓会

先日、中学の同窓会がありました。普段は行きませんが、何かの刺激になればと思い、子どもを連れて参加しました。

会場には懐かしい顔ぶれ。20数年ぶりに会う人ばかりで、みんな少しずつおじさん・おばさんになってはいるものの、皆一様にリアクションや雰囲気は昔のまま。近況を話したり、笑い合ったり、昔話に花を咲かせながら楽しい時間が流れていきました。

ところが、お酒が進むにつれて、ある論争が始まりました。テーマは「既婚者と独身者、どちらが幸せか」。

結婚して子どもを連れてきている既婚者側は、「早く結婚したほうがいいぞ、夫婦や子どもの喜びを知らないだろ」と言う。

一方、独身者側は「結婚はリスクが大きい。独身ならお金も時間も自由、これほど人生を楽しめる形はない」と反論します。

既婚者(結婚推進派)は、「一人の幸せなんてたかが知れてる。家族と人生を共にできる幅広い幸せがある」と主張し、独身者(独身推進派)は、「家族という形には、幸せよりも遥かに大きなリスク、苦労や縛りが伴う」と譲りません。お互い、自分の思う「幸せの条件」を並べて、相手に理解させようとしていました。

その様子を見て、あらためて思いました。「幸せ」とは、結局「自分の心が決めるもの」だと。どんな立場であっても、「自分は幸せだ」と感じることができれば、それが幸せになる。

しかし、天理教で教わる幸せは、さらに深いものです。天理教の幸せとは、どんな境遇でも、親神様のご守護を数えて感謝できる幸せ。それは、いくら困難な中であっても「だけど、ありがたい」と思える心ともいえます。

同窓会で、自分の不幸や苦労を並べながら「それでも幸せだ」と語る人は、誰一人いませんでした。だからこそ、天理教の教えを知る私たちは、他の人が知らない“どんな中でも幸せを見出す視点”を持っていると感じました。これは、今の社会にこそ必要な価値観ではないでしょうか。

この教えを一人でも多くの人に伝えたい。そう強く感じた同窓会でした。

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