生と死【出直し】
世間で普通言っている、人が死ぬということを、天理教では「出直し(でなおし)」といいます。「もう一度出直してくる」という、あの「出直し」です。
人間にとって死ということは、どうすることもできない終着点であり、恐ろしい終焉を意味するものと考えられてきました。人間は死ぬことによって、すべてが消滅し無と化してしまうような、絶望的な闇と考えたり、またそれだけに無限の恐怖に包まれたものと考えたりしたものでした。
しかし教祖は私たちに、人間の死というものは、古い着物をぬいで、また新しい着物を着て出直してくるようなものだとお教えくださいました。私たちの体は親神様からの「かりもの」です。借りたものなら、年限がくれば返さねばなりません。私たち人間の主体である心魂は(かしもの・かりもの参照)、末代生き通して滅びるものではなく、常に新しいかりものを借りては、この世に生まれ直し、出直ししていくのです。
この世元初まりのお話の中にも、人間は五分から生まれて五分々々と成長するうちに、何度も出直し、生まれかわって、今日の人間にまで成人してきたと教えられています。そして、これから先も、永劫末代生まれかわり出かわりして、この世の生を歩みつづけていくのです。ですから、この世界以外に、あの世とか、地獄、極楽、天国などというような別の世界があるのではなく、人間にとってこの世界がすべてなのです。
一人の人の死ということは、確かに一つの人生の終わりではありますが、しかし、その終わりは、また新しい人生の出発を約束された一つの休止だともいえるでしょう。どう
にもならない終末ではなく、次の人生への希望と期待を持つことを許された一つの転機であるともいえるでしょう。
それだけに私たちは、一回きりという絶望から救われて、明るい明日への光を見出すことができるようになりました。また反面、一回きりの人生でないだけに、「どうせこの世は太く、短く、面白おかしく生きよう」というような、その場限りの生き方ではならないということにも気づくことができたのです。今日という日が、過去の日々の積み重ねの上に成り立っており、明日の姿を導き出す今日であるように、今生の一生は、前生々々の積み重ねの上に成り立つものであるとともに、この一生の通り方が、来生、再来生を形造っていくのだということを考えねばなりません。